・ひびにちぎれてちぢにおもう---rude・
それは唐突だった。気がついたときには既に己の手がレノの白い素肌を暴いている所だった。
細い肩を抱き寄せて。柔らかい頬を撫でるように慎重に指を這わせ、耳に触れる。耳朶を軽く摘んで優しく引くと、翡翠の瞳がなぁに?とまるく輝いた。ことさら甘い言葉を選んで囁くと、陶酔するようにふるりと小さく首を竦めて仰のく。
耳朶に触れていた指がそろりそろりと肌の上を滑る。胸元を撫でるように擽るように。ときどきその肩がぴくりぴくりと小さく揺れる。囁く言葉では足らない思いを、柔らかい耳をまるごと味わうようにねっとりと舐め上げて伝えれば、ふ、と笑うような微かな吐息が漏れた。
胸から腹、腰を辿る指先は勢いを増し緩急をつけながら再び胸元へ伸ばされる。耳から唇へ、自然重なり合って深く深く、舌を絡めあいながらすとんとシーツの上へ手を落とす。レノの腕が肩の上をなぞるのと同時に、白い背中ごとシーツの上へ転がり落ちた。
ガタン、と大きく揺れたその音に引き戻され、覚醒したルードはようやく自分の置かれている状況を思い出した。
定時報告を済ませ、任務を終えてこれからミッドガルへ戻ろうというところだった。
緊急停車した列車の中には、乗客のざわめきがさざ波のように広まっていく。やがて先行の列車の事故による緊急停車であり、復旧の目処は立っていないという車内アナウンスが流れ、ざわめきの中から溜息と混乱の芽が吹きだした。
ルードの居る車両に乗務員が現れると、大事な商談の約束に遅れそうなビジネスマン、乳飲み子を抱えた母親、その他個々に事情を抱えた乗客たちが詳しい説明を求めてわっと群がっていった。もちろんそんな人の波を遠めに眺めながら、焦っても仕方ないと溜息をついて座席の肘掛に凭れかかったままの乗客たちもいる。ルードもまたそういった中の一人であり、「当面復旧の見通しが立っていない、詳細はわかり次第順次車内放送で」という繰り返しの説明を遠巻きにしながら、他のビジネスマンの乗客達と同様に、ルードもタークス本部にその旨の連絡メールを入れたのだった。
「ルードの帰りが遅れるそうだ」
休憩中、泥水と良い勝負のインスタントコーヒーを舐めている所へ現れたツォンからの言葉に、レノは視線だけで「なぜ?」と問う。
「どうやら帰りの列車で事故にあったらしい。ルードが事故にあったわけではないが、先行の列車にトラブルがあったせいで緊急停車中だそうだ。幸いこちらも急ぎの案件を抱えているわけでは無いから、迎えのヘリを出すまでもないだろう。復旧までに時間がかかりそうならば現在地付近でもう一泊、ということになるだろうな」
「そーですか、と」
「そうあからさまにがっくりするもんじゃあない。お前も子どもじゃないんだ、一日くらい待てるだろう?」
すっかり肩を落としたレノのこれ以上無いほどわかりやすい様子にくすくすと笑いながら言うと、問題児は向きになったようにツォンの瞳を睨み付けてきた。
「がっくりなんかしてません、と」
「なら仕事に戻れ。ルードがいなくちゃ一人で仕事も出来ないのか、お前は」
「ルードの分も残業残業、いい加減やってられません、と」
「それも今日で終わりだ。第一ルードの分もと言うほどやっていないだろう?おまけに普段デスクワークに関してはお前の分までルードがこなしているようなものなんだ、たまには逆の立場になってみるのも悪くなかろう」
「…」
「どうした、まだ何か言いたそうだな、レノ」
「いいえ、なんでもありませんっと」
「ルードの方は心配には及ばないさ」
ぽん、とレノの肩に手を置いて、ツォンは去っていく。すべてお見通しだと言わんばかりの態度がレノの癪に障るけれど、レノが落ち着きを無くさないように配慮してもらえていることが伝わってきて、結局一言も言い返すことが出来なかった。天邪鬼なレノにはそんな遠まわしの配慮だとか気遣いというものですら嫌悪の対象になりかねないというのに、それでもツォンはいつもレノに対してそれらを欠かさない。
結局のところ何もかもツォンの方が上手、ということなのかもしれない。
「ツォンさんはずるい、と」
ぽつりと呟いて、空になった紙コップを左手で握りつぶしてくずかごに放った。
瞳を閉じるたびにちらつく赤い髪の残像と蠢く白い裸体に辟易する。
深夜、ベッドの上でもう幾度目か知れない寝返りを打ったルードは、枕元に置いた携帯電話の液晶画面で時刻を確認した。まだまだ朝までは遠いその時刻に溜息をつく。
結局今夜中に復旧の目処が立たないということになり、ひとまず乗客には最寄駅のホテルの宿泊チケットが渡された。ミッドガルに戻るための代替手段がなかったわけではないのだが、明朝の始発から運行の見通しが立っているとの話もあり、ルードはツォンからの許可も取り付けた上で、もう一泊この地に滞在することにしたのだ。
「何も一刻も早く戻らなければならないということもあるまい。こちらへ戻ってくればまたしばらく休暇など無いんだ、休めるうちに休んでおけ」とのツォンの言葉にはもっともだと思わされた。任務から任務をほぼ綱渡りでこなし、合間合間に種々の書類を作成するのだから、ミッドガルに戻れば再び休む間もなく仕事三昧の日々が待ちうけていることは確実だ。
ただ一つだけ。一刻も早くルードが戻らなければならない事情があるとするならそれはプライヴェートの方に起因するものだった。
列車に乗っている間、窓から差し込む初冬の温かい日差しについうとうとと頭を垂れて寝入ってしまった。浅い睡眠がもたらした夢の中、ルードはレノに触れ、レノを抱いてた。
以来瞳を閉じるたびそのときのレノの姿がフラッシュバックして止まらなくなってしまっていたりする。
ルードはこの任務に就く前、レノとちょっとしたトラブルを起こしていた。癇癪を起こしてぎゃんぎゃん言い募るレノの相手をまともにしていてはキリがないのはわかっているのだが、頭ではわかっていてもどうしても我慢できないことというのは世の中に往々にしてあるもので。ルードにはルードの言い分というものがあった。
レノ本人は仕事と私生活の境界線をきっちり引いているつもりのようなのだが、その実仕事上でやらかしたミスで機嫌が悪くなると、帰宅してからも手のつけようが無いほど周囲の物やルードに当り散らすことが頻繁にあるのだ。そのときも丁度そんな風にレノの悪い癖が爆発していた。ただでさえ仕事の下準備に追われて忙しいときにレノに構っているような暇はない、そう言えば言っただけ焼け石に水、というより火に油を注ぐような羽目になってしまっていた。
思い起こせばレノに挑発されこっぴどく罵倒されるうち、いい加減にしろとつい本気でぶつかってしまったのが情けない痴話喧嘩のきっかけだった。いや、直接のきっかけというのならこの仕事を本来なら受けるはずだったレノが途中で任務を降ろされてしまったことが全ての始まりだったともいえる。
ともかく、お互い行き違ったままこうして常に無い日数離れ離れになってしまったことがルードの心にわだかまりとちょっとした後悔にも似た気持ちを巣食わせているのは確かだった。現に焦がれる心は正直なもので、レノを勝手に求めては残像を追いかけ続けている。
帰ったらあの大きな子どもをうんと甘やかしてやろう。言いたいことがあるなら全部聞いてやろう。頷いて頭を撫でて、良い子だから側にいて、もう一度、少しの間だけ大人しくして話を聞いて欲しい。そうすればまた元通りになれるから。
大きな子ども、気まぐれな子猫、しばらく顔を合わせない間にルードの中のレノはすっかり可愛らしい生き物に成り果ててしまっていた。
毎日一緒に居るときにはあのあばずれが!だとか、悪魔、人でなし!と罵りたくなるような目に数々合わされ続けて、実際そんな言葉を口喧嘩の際に直接ぶつけた覚えもあるというのに、ほんの少しこうして状況が異なるだけでどうとでも言い換えてしまえるのだから人間都合の良い生き物である。
もっとも、ルードがそうして罵った分3倍どころか5倍10倍になった言葉がレノから返されるのだから、大抵その手の不毛なやりとりはすぐに言葉から拳にその手段を変えることを余儀なくされてしまうのだが。
今はそれすら懐かしく愛おしく思える。会いたい。近くで。もっと触れたい。
不意に閉じたばかりの携帯電話のバイブレーションが鈍い振動音を立てた。
電話の着信、何事かと起き上がりながら通話を始める。
「…ルード、俺」
聞こえてきたのはレノの声だった。
2005/11/22
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