・もういない・

今年の冬は去年の冬よりもずっと寒いからと新しいコートを買いに街まで繰り出した。
あれでもないこれも違うそれはどうだこれも良いぞ。プレートの上、支給されたばかりの冬の特別手当で財布の紐も緩んでいるのか、年の瀬も迫った休日の昼下がり、ミッドガル繁華街を道行く人々は皆明るい表情で通りの店を賑わせている。
「なールードぉ、こっちとこっち、どっちが似合うと思う?」
もうさっきから何度同じことを聞かれたかしれないけれど、お気に入りのブティックのラックから二着のコートをとっかえひっかえ、姿見の前でああでもないこうでもないと腕を組んだり頭を掻いたり真剣に悩むそんな姿も愛おしかった。
「そうだな…こっちはお前の体のラインにあってはいるが、型ならその左の方がお前に似合う」
「やっぱそーだよな!俺もそうだと思ったんだ相棒!」
ばしばしと握ったハンガーでルードの肩を嬉しそうに殴りつけながら歯を見せて笑うレノ。
どちらが良いかと問われたのにも関わらず、結局ルードはどちらが良いとも悪いとも答えていない。それでもレノはあっさりと納得したようで、両方のコートをさっさと店員の手に委ねてしまった。
「どっちも一長一短、後で後悔したくねーからな。こんなときは両方買っとくにかぎるんだぞ、と」
カードで手早く支払いを済ませて受け取った二着のコートの袋を手に、今度はどこへ行こうかと目を輝かせるレノへ、ルードは自分の買い物に付き合ってくれるように頼んだ。満足のいくデザインのコートを買えて上機嫌のレノは勿論ルードの頼みを快く了承する。
レノに付き合って貰って普段使いのシャツを数枚、タイもついでに新調して。それから先月繁華街の中央通りにオープンしたばかりの話題のカフェへ向かい、お目当てのザッハトルテとエスプレッソで小腹を満たして。
ニューイヤーホリデイに向けて慌しくなる前に日用品の買い足しも済ませ、同じ屋根の下へ戻った夜。
夕飯を共にしてベッドを共にして目覚めた翌朝の仕事。
普段どおりに出社して、普段どおりに仕事をし、一日を終えて。気の利いたジョークの一つも飛ばしながら寒い寒いとコートの襟に顔を埋める姿も。
静まり返った深夜の歩道に響く調子外れの酔っぱらいの靴音も。
情熱的に絡んでくる舌も。闇に蠢く肢体の白さも。
あっけらかんとした笑い声、ひんやりとした光を放つ大きな瞳。口に出される言葉たちより遥かに素直に感情を伝えてくる表情。みんなみんな、ここには既になくなってしまったものだった。
一人きりで過ごす夜の方が少なかった部屋の中。主を失ったベッドの上。
通り抜ける空気すら冷たく重く、沈む心を更に暗い場所へ押し込める。
レノはもう、いない。
一年前、ニューイヤーホリデイの休暇を楽しんだその直後の任務の途中、レノはいなくなってしまった。
ルードの前からも神羅カンパニーの中からもミッドガルからも。レノは星に還った。ライフストリームの光の束、その一筋になった。
星を生かさず殺さず搾取してきた自分たちもそこに戻してもらえるのか、それはルードにはわからなかったけれど。レノがいなくなってしまったことは何より重く、ルードの胸に闇を落とした。
あの日から一年が過ぎて、同じ休日の、同じ通りの賑わいを目にした日。ふと赤い色を視界の隅に捕えた気がして慌てて振り向いたその先には、何者も映らなかった。
極力思い出さぬようにして過ごしてきた。そのとき涙の一つすら流さなかったルードの淡白な反応、その後の何一つ変わらぬ暮らしぶりに周囲からは薄情と陰口を叩かれることもあった。
それでもこの季節が巡るたび、きっとルードは思い出す。
買ったばかりの二着のコートの内の一つにとうとうレノは袖を通すことがなかった。
ルードには小さすぎるそれらは今も二着一緒にルードのクローゼットの中に眠っている。
またレノが帰ってきたそのときに、寒い寒いと鼻を赤くさせずにすむように。くしゃみをさせずにすむように。
そんな夢をみながら眠る。


「なぁルード、俺、あんた泣かしてみてぇんだけどな、と」
「どーいう顔してベソかくのかな、と。ん?このタコちゃんは」
「ヤッてっときは別。あーいう生理的、ってぇのじゃなくて。お前が本気でわんわん泣いてベソかくとこが見てぇの。…ん?俺様のことは今は関係ねーだろ。お前のこと!」
「ったくバカにしやがって。ハゲのくせしていちいちかわいくねーな、と。わかったよ。今度高尚なルードちゃんがお好きそうな動物モンの泣けるDVD借りてきてやっから、まずはそれからだな、と」


いつだったか戯れにそう言って笑ったレノの横顔。真剣な表情はからかった途端に崩れて怒り出す。
一人きりの深夜、眼が覚めた広すぎるベッドの上。寝返りを打ったシーツの冷たさにルードは声を上げて泣いた。
そこにあったはずのぬくもりは今は遠く、ルードの記憶の中にしか、ない。



2006/1/16