・きみがみつけてくれたから‐4‐・


村へやってきてから三日目にして、苛立ちを感じるほどの退屈はどこかへ消え飛んでしまった。どきどきわくわく、今にも踊りだしそうに震える心を抱えてルードはその夕、宿に戻った。

「あら、ルード、どうしたの。今日は楽しいことでもあったの?」
言葉を口にするのが苦手な分、すぐに表情に変化の現れるルードの様子を見逃すような母ではない。
帰って早々、今日は早い時間に戻ってきていた父と共に囲んだ夕飯の席上で問われて、ルードは頬を僅かに赤く染め、答えた。
「同い年くらいの子に…会ったんだ」
「村の子どもとお友達になれたのかい?」
にっこり笑って応じる父に、ルードはますます顔を赤くさせてもじもじと俯いた。
「ルードは可愛い子に会ったのよね。ね、そうでしょ?嬉しくて、どきどきしてるのよ。その子とは仲良しになれそうなのかしら?」
まるでルードが「その子」に出会った一部始終を見ていたかのように語る母に、父はおや、と目を細めて見せた。
「そうなのかい、ルード」
「……」
問われて言葉に詰まったルードが無言で交互に両親の顔を見つめると、母は小さくふきだして、笑い出した。
「あなた、そんなに問い詰めたらルードも困っちゃうでしょ」
「だってお前が始めに言い出したんじゃないか」
困ったなぁ、と眉尻を下げて頭をかく父に、ルードは違うともそうだとも答えることができずにおろおろするばかりだった。
「それで…そのかわい子ちゃんとルードは仲良しになれたんだ?」
改めて父から問われて、ルードは先刻出会った赤い髪のあの子のことを思い出す。
もう一度会えるかどうかすら、わからない。その現実に気がついて、ルードはしゅん、とうな垂れた。
「…あら」
まぁ、とその様子を見て声を上げた母は父にそっと耳打ちをする。
『嫌われちゃったのかしら…?』
『その割に帰ってきたときには楽しそうだったよな』
『それもそうよね…』
「ねぇルード、他にも好きなもの、頼んで良いわよ。ほら」
気を取り直してルードに注文を促す母に、ルードは首をぶんぶんと横に振って答えた。
「…ありがとう…でも、もういいや。おなか一杯だし」
「そう…。それじゃ先に上で休む?お母さんたちはここでまだお話しているから」
「そうする。おやすみなさい、父さん、母さん」
「お休み、ルード」
「寝る前に歯磨きはちゃんとすませるのよ?」
「うん」
階段を上り、宛がわれた部屋へ戻って布団に潜り込んでからも、ルードは昼間のことを思い出して中々寝付けなかった。
この村へ来てからは本当に退屈で、一昨日は一日を終えるまでの時間が苦痛ですらあった。
昨日も今日も、暇を持て余したルードは母の趣味のスケッチに付き合って入った森の中で遊んでいた。世界でも珍しい花が自生しているというその森は、この村一番の有力者の家の裏手にあって、その家の私有地だった。
村に一軒しかない宿がわりの酒場は様々な情報が集まる村のサロンとしての役割も果たしているせいか、旅行者の耳にもすぐにそんな情報が入ってくる。
活動的なルードの母は村へ来てすぐにこの話を聞きつけ、行動に移したというわけだ。ここにしか咲かない珍しい花を描いてみたい。スケッチブック片手に挨拶に向かった家の主は、快く森に入ることを許可してくれた。
「一緒に来る?」といわれて、退屈だったルードは普段はついていかない彼女の趣味に付き合うことにした。貰った画用紙にスケッチの真似事をしてみたけれど、集中する母ほど長くはそれも続かず、やがて飽きてしまったルードは森の中を『探検』してから帰ると言って母の元を離れた。
そうして森のはずれで見つけたのが、朽ち果てた教会のような建物だった。
教会のようではあるけれど祭壇は少し変わった雰囲気で、何か信仰する対象が違うのだろうということは幼いルードにも理解できた。
壊れかけたその中に入ったときには気がつかなかった。それほど静かに、その子は眠っていた。
破れたステンドグラスから差す淡い光を浴びて、きらきらと赤い髪がその色を反射していた。額に落ちる影は七色で、光に当たっているせいか真白いその頬はほんのり赤く染まって見えた。
全身が淡い日の光に包まれているその姿は、いつか絵本で見た天使をルードに思い起こさせた。長椅子の上で小さく身じろぎする様子を見て、つい、声をかけたくなった。
夕闇の迫る森の中、こんな薄着で放っておけば、夏といえども風邪をひく。良い言い訳を思いついて、ルードはそっと躊躇いがちに声をかけた。
見開かれた瞳は淡い翠。母の宝石箱の中で見たことのあるような、そんな色だった。
ミッドガルでは出会ったことの無い、勝ち気な態度。乱暴な言葉遣い。それでもルードの瞳を正面から見据えて離さない。魅了する一対の翡翠。
仲良くなりたい、もっと話がしてみたい。心からそう思ったルードの気持ちを悉く跳ね除けたあの子。
そして、最後に腕を掴んだあのとき気づいた怪我の痕。ちらりと見えた部分だけでも酷い色になった痣やろくに手当てを施されていない切り傷の痕で一杯だった。光に赤く染まっていたかに見えた額や頬の上も、治りきらない傷のせいで赤みがかって見えていただけだった。
何かとてつもなく酷いことをされている。体中に残されている痕跡に嫌な気配を感じて、ルードは目の前からあの子が居なくなった後もしばらくその場に立ち尽くしていた。
駄目でも良い。明日もう一度行ってみよう。会えないかもしれないけれど、何もしないよりはずっと、可能性はある。
心を決めたルードは、そのとき自分が重大な間違いを犯していることに全く気づいていなかった。



2006/2/10