・きみがみつけてくれたから‐7‐・
「母さん、父さん、話があるんだ」
その日の食事の後、ルードは酒場の二階の部屋で、母と父にレノのことを話した。
レノ本人が目の前にいない状況でどこまでルードの話を信じてもらえるかはわからなかったけれど、二人はその内容が内容なだけに、神妙な面持ちでルードの話に耳を傾けてくれた。
ところどころつっかえたり、要領を得なかったりする上、その証拠と呼べるようなものすら何一つ持っていないまま話を進めるしかないルードはしかも初等科に上がったばかりの子どもである。
ルードは自分が子どもであることをよくわきまえている子どもだったから、せめて自分の両親だけには信じて欲しいと話しながら祈るような気持ちで願っていた。
「ルード、それはほんとうにあの立派なお屋敷の子どもなのかい?」
一通り話し終えた後、父から問われてルードは頷いてみせた。
「彼の話を信用するしかないけど、僕はそうだと思ってる。でなきゃあの森の中を行き来しようとは思わないはずだから」
「その子は…ミッドガルに着いてからはどうするつもりなの?」
それももっともな質問だった。ルードはレノから聞いた話を繰り返す。
彼の母方の血縁の人間がミッドガルにはいるらしいということ。それを何とか探すつもりだから、ミッドガルに着いてからはルードたちには絶対に迷惑をかけないということ。とにかくミッドガルまで一緒に連れて行って欲しいということ。
父も母も、難しい顔をして時折頷きながらルードの話を聞いてくれた。
やがて一先ずルードに先に休むように告げた後、二人はその晩遅くまで何か話をしているようだった。
ルードは布団の中で幾度も幾度も、翌朝レノを連れて行くことを両親が許してくれることを祈った。
祈るしかなかった。
次の朝、寝不足のルードを起こしに来た母が、うれしい知らせをもってきてくれた。
ルードと一緒にあの森の祭壇のある建物へ、レノと待ち合わせた時刻にきてくれるのだという。
世話になったあの屋敷の人々への挨拶がてら、最後にもう一度森へ入る許可を取ることにするのだそうだ。
父はいまだに納得のいかない様子だったけれど、母には何か考えがあるようだった。
ルードと母は出立の支度を終えた後、森の裏からレノだけが密かに村を出られるように先に車を手配して、二人で屋敷へと挨拶へむかった。
レノを森の裏から先に車へ乗せて、そこから再び村の入り口へ車を寄せてもらって二人が乗ることにしたのだ。
父は昼過ぎまで村へ残って仕事を片付けてからルードたちと合流することになり、ルードと母とレノだけが先にミッドガルへ向かう手はずになっていた。
屋敷の主とその夫人、つまりレノの両親はとてもそんなことをするような人たちにはルードの目からも見えなかった。
恰幅の良い実に堂に入った姿と張りのある声でルードの母と対峙する主と、その隣で優しげに微笑む美しい夫人、そして笑顔で手を振って見送ってくれた女の子。黒い髪を赤いリボンで束ねた彼女はレノの妹なのだろう。彼女が身に纏うのは屋敷の雰囲気に似つかわしい上質の生地で仕立てられたブラウスとスカートだ。レノが着ていたみすぼらしい服とも呼べないような襤褸を思い出して、ルードはそれだけで悲しくなった。
「レノはきっと今の僕らの挨拶の隙にあの家を抜け出しているはずだよ」
ルードは森の中を母の手を引いて力強い足取りでずんずんと進んでいた。もうすぐ会える。もうすぐだ。
森のはずれ、の朽ちかけたその建物を見て、母は少し驚いたような表情になった。
扉を開けると蝶番と木のきしむ音がする。
欠けたステンドグラスから落ちる光を浴びて、祭壇の前にレノが立っていた。
「レノ、迎えにきたよ」
ほら、僕は約束を破らなかった。守るって言ったろう?
「針千本、飲ましてやろうと思ったのに」
レノは指切りをした昨日のことを言って笑った。
母がレノににっこりと微笑みかけると、レノは礼儀正しくぺこりと頭を下げた。それはルードの予想外の出来事で、あっけに取られてその様子を見ていたルードに、レノはにやりと笑って舌を出して見せるのだった。
「お世話になります」
レノに森の裏に密かに車が準備してあることを告げ、ルードが早く行くように誘うと、レノは行く前にもう一度だけ屋敷に戻る時間をくれるようにルードに頼んできたのだった。
「最後に一度だけ、妹に会ってきたいんだ」
ぽつりとつぶやいたレノの横顔はどこか遠くを見ているようだった。
ルードは今戻ることの危険性をレノに話し、母も戻ることはすすめられないと頷いた。
けれどレノは戻ってしまった。
同じ家に住んでいたはずなのにもうずっと、生まれてから一度も言葉を交わした覚えのない相手でも妹は妹だ。
これが永遠の別れになるのかもしれないと誰もが了解していた。
長い間、酷いことをされ続けて逃げ出そうとするこの瞬間にも、レノの中で彼らへの愛着は完全に失われていたわけではなかった。
「もう一度だけ、絶対に戻るから。今度は俺が、ゆびきり、な?」
最後はレノに押し切られるようにしてルードは頷いた。
覚えたばかりの指切りをして、じゃあ、後で、と。笑って駆け出すレノの姿が瞳の奥に焼きついてそれからいつまでも離れなかった。
あの日、レノはとうとう、戻って来なかった。
どうしても別れを言いたかった。生まれて初めてかわす妹との言葉が別れの挨拶だなんて皮肉も良い所だ。
最後に顔を見たのは生まれたての、まだ言葉を覚えてもいない頃だった。
屋敷を出るときに本当は顔を見ていきたかった。けれど彼女はそのときルードに会っていた。
ルードは会っているのに、言葉をかわしているのに。レノとはただの一度もかわさないまま、このまま別れてしまって本当に良いのだろうかと自問した。
嫉妬だったのかもしれない。赤の他人が会えて、どうして同じ血を分けた自分が会えないままなのかと。せめて一度くらいはとの、その未練がレノの未来を変えた。
レノが戻ったとき、屋敷には見知らぬ男が客としてやってきているところだった。屋根裏の小窓から再び自室に戻って、客の気配に乗じて見つからぬように密やかに階下へ降りた。
客とレノの父が何か話をしているようだった。トラブルなのかもしれない。強欲な父は村に所有している土地のことで近頃近隣の住民たちともめていた。てっきりその話し合いなのかと思った。
大きな声で「出て行け」と怒鳴られて客は去ったようだった。
レノはその後父が大きな足音を立てながら屋根裏への階段をのぼっていく音を聞いた。
屋根裏には普段ならレノがいる。けれど今、レノは階下にいる。屋根裏に閉じ込められるようになってから初めて降りてきた、この瞬間に。
屋根裏からはレノを探す恐ろしい声がした。
レノは逃れられないと思った。足が竦んで動けなかった。
恐ろしいけれどレノにとっては家族だった。つらいけれどレノにとっては家族から唯一与えられるものだった。
父を母を殺してやろうと思うと同時にいつだって生まれてきた自分を呪っていた。
家族が愛おしかった。
だから、そのときレノは階段をのぼったのだ。
蹴られて髪を引きちぎられそうな勢いで掴まれて殴られながら父は切れ切れに汚い言葉を叫んでいた。
レノはようやくそこでさっきの客の男がルードの父であることを悟った。
ルードの父は彼なりの正義と倫理と道徳心にしたがって行動したのだろうとレノは思った。
その結果が偶然裏目に出てしまっただけのことなのだ。なによりレノ自身が家族を断ち切れなかった。それだけなのだ。
腹を踏まれてもがきながら、朦朧とする意識の中でレノはつぶやいた。
「ごめんな…」
ごめんな、ルード。
ぜったいに、もどるって やくそく した のに。
やくそく やぶって ごめんな。
***
あの日、家族と一緒にミッドガルに帰ったルードは優秀な成績で初等科、中等科、高等科を卒業して、大学に入ったけれど思うところあってすぐにそれもやめてしまい、神羅へと入社した。
タークスとしての訓練を受け、初めての任務で組まされた相手は赤い髪のとてつもなく身勝手でわがままなどうしようもない男だった。
名前はレノといった。
ルードはその名を耳にするまですっかり忘れてしまっていた、遠い昔に出会った「あのレノ」のことを瞬間思い出しかけて、まさかと首を振った。
そんなはずはなかった。あのレノがこんなところにいるはずはない。
第一もしも彼があのときのレノならば、ルードが名乗ったそのときに気づいて話をふってきたはずだろうに。
確かに赤い髪は共通点ではあったけれど、ルードにはにわかに信じがたい話でもあったため、それは胸のうちでいつのまにかなかったことにされていた。
子どもの頃の苦い思い出はルードの心の傷となり、大人になった今もなお思い出すことを無意識に避けるようにしていたことも影響したのかもしれない。
時がたつということはそれだけ残酷で容赦のないことなのだとルードは知っていた。
だから、それからすっかりレノがルードの仕事の「相棒」となってからもルードはその事実に気づいていなかった。
けれどレノはルードを見つけていた。
神羅に就職したのは偶然だった。
あの日、逃亡に失敗したレノはそれから数年間の屋根裏生活を経て、期せずしてミッドガルへ行くこととなったのだ。
きっかけは父の死だった。もともと精神を病んでいたレノの母はそれをきっかけに村の父方の縁者たちの手によって、ミッドガルの病院へと入れられた。
妹は村の屋敷で親戚たちの手によって育てられることとなり、残されたレノはとうとう厄介払いされるようにミッドガルの母方の祖母の元へ返されたのだ。
そのとき祖父はすでに亡くなっており、老いた祖母はレノが十五の年になるまでの数年間の間、レノの面倒を甲斐甲斐しく見てくれた。
レノに初めてできた真の意味での家族との生活はぎこちないまま時だけが過ぎ、レノは祖母の死をもってついに一人ぼっちになった。
一人になったレノは祖父母が残した莫大な遺産の相続を放棄して、スラムの吹き溜まりに埋もれるように、半ば犯罪まがいのありとあらゆる行為でもって日銭を得て暮らしていた。
そうこうするうちにあるときレノは祖父の遠い親戚にあたるという神羅社員の男から、神羅に入ることをすすめられた。
そんなに死にたいのならそのための場所を提供してやると笑っていわれて、レノは半信半疑のまま話にのった。
つまらなかったからだ。なにもかもがくだらなく見えたから、どうでも良いと思ったからついていった。
だからルードに出会ったのは偶然だった。
再会したルードはハゲの大男になっていた。
レノは初め少し驚いたけれど、誠実な話しぶりと態度は子どものころのまますぎて逆におかしかった。
ルードはレノのことを気づいていないのか、それともそ知らぬふりをしているだけなのかわからなかったから、レノはあえて黙っておくことにした。
話したところでそれは遠い昔の話すぎて、もしかすると相手は覚えていないかもしれない。
レノには忘れようとしても忘れられない記憶だったから、しっかりと覚えている。目の前にいるルードはあの子どものルードと同一人物であるとわかっている。
けれどそれと同じことをルードに求める気にはなれなかった。
忘れられてしまっている方が良いと思おうとしても、どこかで覚えていて欲しいと願う気持ちが邪魔をして、それを確認してしまうことが怖かったのだ。
だから久しぶりの休暇で、ウータイにやってきたとき。
酒を飲みながらレノは思わず零してしまった。
「もっと飲めよ、ルード、と。お前と組んでもう何年になる……?」
知っている、もう何年も前からずっと、組む前からお前のことは、知っていた。
「タークスの仕事はツラいこともあるけど、ま、俺はやってきてよかったと思ってるぜ」
だって。
「お前みたいなヘンなやつにもであえたぞ、と。」
君があのとき見つけてくれたように。僕も君を探していた。ずっと。
きみがみつけてくれたから、僕は今きみのとなりにいる。
これからもずっと、君のとなりにいられるように願っている。
だからお前にも見つけて欲しい、俺のことを、見つけてほしい。
あのとき守れなかった約束を、今、果たしにきた。
ああそうか。あのときの、やっぱりレノはレノだったんだ。
「タークスに……」
「レノに……かんぱい。」
おしまい
2006/10/11
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