・くしゃみ・

 神への祈りを終えると、いつの間にかそこにいたはずの角都の姿が消えていた。
 いつも遅い遅いと不満を口にしながらも、きちんと飛段のことを待っていてくれるものとどこかで信じていた。だから先刻の戦闘を終えるまでずっと一緒にいたはずの角都の姿がそこから忽然と消えてしまったことに、飛段はひどく動揺していた。
 このまま角都が二度と飛段の目の前に現れることがなかったらどうしようか。飛段は様々なことを想像した。第一ツーマンセルが成立しなくなる。コンビ解消、暁から抜ける?そんな勝手は許されないんじゃないか。第一リーダーが了解してくれないだろう。いや、角都のことだ、周到に周囲の人間への根回しを済ませ、その事実を知らないのは飛段だけだということも考えられる。
 悶々と考えながら角都をとりあえず待ってみた。
 その場の地面に座り込んで、ぼんやりと周囲の景色を見つめながら、ただひたすら待ち続ける。
 この辺りは町から遠く離れた田園地帯だ。水の豊かな土地とみえて、鮮やかな新緑の色と空の青が気持ち良い。時折聞こえてくる鳥の鳴き声や、わずかに木々を揺らす風の音に飛段は耳を澄ませる。こんなのどかな場所で先ほどまで文字通り血みどろの戦闘を繰り広げていたのだから、なんだか奇妙な話だとも思う。現に背後を振り返れば、おびただしい量の血液と死体がそこには転がったままになっている。角都と飛段が暁のメンバーだと知って、突然襲い掛かってきた忍だった。
 暁の外套は町を歩いていてもとても目立つ。ゆえに暁を狙う忍たちは、その外套を着ているものを標的として襲い掛かってくることも旅の途中にはよくあった。
 あまりにそれが度重なるものだから、いくら絶対にそんな輩には負けない自信があるとはいえ、面倒になった飛段は一度リーダーに苦情を言ったことすらある。答えは「そのためにこの外套にしている」との一言で、飛段にはあまり納得できなかったけれど、角都に宥められながらしぶしぶあきらめることにしたのだ。敵の的になったほうが、高確率で賞金首に出会えるのだからこれで良いと角都は言うけれど、暁内で一番「のろま」な飛段としては、今日のように不意打ちで狙われて戦闘に入るよりは、心構えをして自ら敵を狩りに行くほうが性に合っているし戦いやすいのだから、できればこういった突発的な事態は避けていたかった。単純に、突然よくわからない相手が目の前に現れて、いちいちびっくりしてしまうのが嫌なのだ。
「角都のばぁか……」
 早く帰って来いよ、何してんだ。
 時がたてばたつほど、心細さは増していった。角都が飛段を一人にしたことはこれまでだって幾度かあったけれど、そのほとんどが飛段が一人で残ると言い出したときや、または角都に待っていろと言われたときだったのだ。何も言わずに角都が姿を消したことがこれまであっただろうかと思い出そうとして、飛段はふと目の前にはらりと落ちてきた淡いピンク色のものに気がついた。
「なんだ、これぇ……」
 ふわふわと宙を舞うそれを片手の中に閉じ込める。握り締めたこぶしを開くと、手のひらの中に一枚の花びらが載っていた。
 先ほどから吹いているあたたかい風にのってどこからともなく飛んできたもののようだった。ただ待っているのにも飽きてきた飛段は立ち上がって、その元を探すことにした。
 ひらり、はらり、花びらは飛段のもとにいくつも飛んできてはいるけれど、肝心の花の姿が目に見える範囲内には無いことを知って、飛段は風の吹いてくる方向へと歩き出した。田園風景が続くのどかな道なりに沿ってひたすら風の向きへ進むと、やがて大きな薄紅色の綿飴のかたまりのような木が見えてきた。そしてその木陰によく見知った人の姿を見つけた飛段は、勢いをつけて木に向かって駆け出していた。
「角都ゥ」
「飛段か」
「なぁにしてんだ」
「……くだらない儀式は終わったのか」
「くだないって言うな!あンなぁ、あれは大事なぁ、ジャシン様のぉ……」
「もういい、黙れ」
「お前が聞いたんだろぉ」
「俺はここに桜を見に来た」
「さくら?」
「この木のことだ。お前は桜も知らないのか」
「見たことはあったけどよ、木とか花とか、そーいうの、興味ねぇし」
 角都は深いため息をついて、口を開いた。
「この木が桜だ。毎年この季節になると花をつける。この近くに昔桜の老木があると聞いたことを思い出したんでな」
「へぇぇ」
「あの頃老木と言われていたから、もう花をつけなくなっているかと思っていたが……意外に咲いているものだな」
 どこか懐かしむように桜の木に視線を向ける角都の姿に、飛段はなんだか落ち着かない気持ちになった。飛段と出会う前の角都、飛段の知らない角都。飛段の知らない誰かから、この木がここに生えていることを教えてもらった角都。
「そんなに古い話なのかよ?」
「そうだな……五十年はたっているだろうが……」
「ふん」
「どうした……?飛段」
「べつにぃ」
 飛段の知らないことを角都はたくさん知っている。角都は飛段と出会う前もこうして長い旅を続けていたのだろうか。飛段の知らない花や木を見て、幾度も巡る季節を越えて。飛段の知らない誰かと肩を並べて桜を眺めたこともあったのかもしれない。
 風にのって、花びらが木を見上げている飛段の頬や髪にいくつも舞い落ちてくる。桜の淡い明るい色と、そのくすぐったさに思わず飛段はくしゃみをした。
「飛段」
「んぁー?」
「俺に向かってくしゃみをしたな」
「あー、もしかして飛んできた?」
 くしゃみの飛沫を花びらと共に浴びた角都に睨み付けられて、飛段は悪びれもせずにへらへら笑った。
「ああ、花見が台無しだ」
「悪ぃ悪ぃ……ってちょっ、待っ」
「うるさい。お前が下品なのは前々からわかっていたことだったが、この際よくわからせておくことも必要かもしれん」
「だからマジ早まんなってぇ……のわぁっっ!!」
 角都に殺されそうになって咄嗟によけた飛段は、桜の木から逃れるように走り出した。追いかけてくる角都が本気なのは、その最初の一撃で抉れた地面の様子が物語っている。
 もう少し花を見ていたかったけれど、このくらいが丁度良いのかもしれない。妙な感傷には浸るような時間を持つのは嫌だった。昔がどうであれ、角都は今飛段と共にいる。それだけで十分なのだ、きっと。
 ただ、くしゃみ一つでキレるようなその性格だけでももう少しどうにかして欲しいと思わずにはいられない、おだやかな春の午後だった。
                                      


2007/4/1