・メビウスの軌跡2・


シャマルと名乗ったその子どもの姿を頭の先から足の先まで視線をうつしながら隼人はまじまじと見つめていた。
シャマルといわれて今の隼人が思い浮かべるその姿はただ一人、自分たちの城にいるあの医者の男のことだけだ。
だから今目の前にいるシャマルと隼人が思い浮かべたシャマルは違う人間だ。そうでなければならない。
けれど、と隼人は考える。もしもこの、今隼人の目の前に居るシャマルがあのシャマルと同一人物だったなら。
そんなはずはないと思うけれどその一方で面影をたどろうと思えば出来ないこともなかった。
黒いくせのある髪と何よりやさしいはしばみ色の瞳。それは隼人のよく知る瞳の色と同じだった。
もちろん、その他の点では隼人の知るその人物とは違いが大きすぎて戸惑うばかりだったりもするのだが。
たとえば隼人を見つめる表情はどれだけ斜に構えていようが隼人と同じあどけない子どもそのもので、肌の色だって隼人が知るシャマルとは違って隼人とほとんど同じくらいに白かった。
見上げて手を伸ばしても届かないはずの彼の背丈は、今の隼人の方が少し大きく見えるほどちいさく、検査用におそらく着せられているであろう衣服から時折ちらちらとのぞく肩や胸は華奢で、触れれば折れてしまいそうなほどだった。
名前を名乗った途端に動きを止めてしまった隼人を、目の前の『シャマル』は不思議そうに見返してきた。
「どうかしたのか?ハヤト」
「あ、ああえっと、その……ごめん」
差し出された手を取るタイミングを失って項垂れる隼人にシャマルはそれでも全く気にとめていない様子で笑った。
「それにしても、まさか俺以外にも俺と似たようなのがいるなんて思いもしなかったからな」
「そ、そのことなんだけど……俺、その」
「いいよ。別にお前のこたぁ必要以上に詮索しねーし。お互いさまだろ?こんな体に好きで生まれついたわけじゃねぇしな」
どこか寂しそうに笑って、白い廊下のまっ白い柱のその影に隠れるようにして座り込んだシャマルにならって、隼人も隣へ並んで座った。
「こんな…体……」
「そ。お前も、俺も。こんな体のせいでこーんなとこに連れてこられちまって。普通の体だったら今頃同じ年頃の奴らと馬鹿やって、学校にもちゃんと行って……」
どこか遠くを見るように膝小僧を抱えて語りだすシャマルの饒舌ぶりに隼人はその横顔を見ながら必死で考えをめぐらせていた。
こんな体。彼は繰り返して告げてくる。数多の不死の病を宿したからだ。それが何を意味するのか、幼いながらも敏い隼人には段々理解できる気がしてきていた。
彼はきっと生まれつきそうだったのだ。さすがに出自のことまで語ることはなかったけれど目の前のシャマルはあきらかに一人ぼっちだった。さびしいという叫びが語る言葉の端々に聞こえてくるような気持ちすらしていた。
自分と、同じ。
どこからともなく湧き出した気持ちは同情などではなかった。明らかな親近感。隼人だってそうだ。誕生日に一人ぼっち。省みてほしい一番のその人からも誕生日なのに放っておかれて一人ぼっち。
さびしいと叫びたいけれど叫ぶ場所のない子どもはどうすればいい?誰がその声を受け止めてくれる?
「そうだな……あんたも、そっか……」
そうだったんだな。隼人に言われて、シャマルは笑った。
悲しそうな笑い顔だった。それは隼人のよく知るシャマルと同じ笑い顔だった。ああ、やっぱり目の前にいる子どもはシャマルなんだな、とそのとき隼人は心から納得できた。
「っつーわけで、俺は今夜ここを逃げ出す!」
「は…?!」
素っ頓狂な声を上げてしまった隼人は、シャマルの両手でその口を押さえつけられて、後はもごもごとくぐもった叫びになっていく。
「静かにしろって!!あのな、いいか、俺は今日の夜ここを出て行く。計画は完璧だ。なんならお前も連れてってやってもいいぞ?ただし、足手纏いにならなければな」
「よ、よるって……そんな、急な、な、なんだよ、それ!」
「急でもなんでも仕方ねぇだろ?お前が俺の作戦決行日にいきなりここに転がり込んできちまったのが悪い。いや、むしろラッキーなことだよな、それって、うん」
一人納得するように頷いて、シャマルは立ち上がった。
「そうと決まればとっとと帰るぞ。今バレちまったら計画が台無しだからな」
「か、帰るって、どこに!」
「決まってるだろ、自分の病室だよ。お前の部屋はどっちだ?」
そこで言葉に詰まってしまうのも仕方なかった。隼人には自分の部屋などない。そもそもここにやってきたのはついさっきのことで、それもここまでどうやって来たのかすら隼人にはよくわからないのだから。
「そこで何をしている!Z-010、早く部屋に戻れ。次のプログラム開始まであと四分二十五秒しかない」
「ちっ……やっぱ監視カメラの死角ついても五分が限界ってとこだな。お前は今日の夜、十二時にここにいろよ?絶対にこの場所から動くな。ここは死角なんだ。すぐに俺が迎えに行く」
舌打ちしたシャマルは隼人に耳打ちすると、立ち上がって白衣の男の後に続いて渋々といった様子で自分へあてがわれた部屋へ戻っていくようだった。
取り残された隼人はそこで蹲ったまま、動けなかった。
「俺のことが…見えて、ない……?」
そう、先ほどシャマルを迎えに来た白衣の男は確かにシャマルの識別番号らしきナンバーは呼んだけれど、他のことには一切触れなかった。
まるで隼人がこの場に存在しないかのようにふるまい、シャマルだけを連れて行ったのだ。
「どういうことだ……」
疑問が思わず口をついて出てしまう。その後もしばらくそうして膝を抱えて同じ場所に留まり続けていたけれど、その間に目の前の廊下を通りすがっていく白衣の人影の全てに隼人は気づかれることがなかった。
やはり見えていないのだろう。自分はこの場所ではイレギュラーな存在なのだ。シャマル以外にとっては。
そうと決まれば依然恐る恐るではあるけれど周囲を見回ることにためらいはなくなってしまった。
廊下の突き当たりの白い部屋。扉は他の白衣の人間たちが出入りするのに合わせて隼人もタイミングを見計らって飛び込んでいく。
大勢の白衣姿の人間たちが見守っているのは巨大なモニタに映されたベッドに横たわるシャマルの姿だった。
数多の計器類に囲まれてむき出しの体中に幾重にも巻きつけられたチューブや器具類がいっそグロテスクにも見える。
苦しそうに時折うっすらと目を開けるその姿は子どもであるからこそ痛々しい。
「なんだよ……これ……こんなの、あいつ……」
シャマルは一言も言わなかった。こんなことになっていたなんて隼人は知らなかった。
シャマルの苦しそうな呻き声を聞きながら隼人は耐え切れずにその部屋を後にした。空腹だったけれど何かを食べたいという気持ちすら起こらず、結局隼人はトイレを済ませると元の廊下の柱の影に蹲るようにして座りこむしかなかった。




2008/3/29




遅くなりましたそしてまだ続きます…すみません!