・わたしはあなたにふさわしい・


真っ赤なばらの花と真っ白いクリームたっぷりのケーキ、並べられた色とりどりの料理とはじけるシャンパンの泡。
知らないたくさんの人間たちの顔とピアノの演奏。グラスがかち合う音、談笑する声。
女たちの鮮やかなドレス、きらきらと白い肌を彩る宝石の輝き。
鮮やかなその色彩はどれも子供の頃の自分が見てきたものたちだった。
一年に一度、変わらぬ今日という日に繰り広げられていた酔狂な催しもの。
もっともそうやって形の上だけでも祝福されていた時期はそのほんの僅かの期間しかなかったのだが。



外に出た途端に体に纏わりついてくるような熱気が幾分和らいできたのはここ数日の間の話だ。
日本の夏のこのあまりの蒸し暑さには本当にうんざりさせられる。うとうととベッドの上で寝返りを打ちながら隼人は気だるい気分を持て余していた。
あれほどうるさかったはずの蝉の声もすっかり聞こえなくなって、季節が変わろうとするのが肌で感じられるこの時期が隼人は苦手だった。
それは隼人の生まれた日がやってくる季節でもあるからだ。
その日が近づくたびに毎年、嫌でも記憶の片隅に眠るそれらの風景を思い出してしまうのだ。
ベッドの上に寝転がりながら、手元の携帯電話の液晶画面に表示されている日付を確認して、隼人は小さく息を吐いた。
9月9日。
憂鬱な一日の始まりだった。



「獄寺くん、明日お誕生日なんだよね?家においでよ。母さんもお祝いしなきゃって張り切ってるしさ」
昨日、ツナに言われた通りに隼人はその日まず沢田家へと向かって、昼食をご馳走になることになった。
ツナの言う通り、テーブルの上に所狭しと並べられた料理の数々は、子供の頃のそれとは違って、一品一品に家庭的な素朴さとあたたかみがあるものばかりだった。
ツナとリボーンは勿論のこと、イーピンにランボ、フゥ太といういつもの沢田家の居候たちも加わって、どたばたとテーブルの周囲をごちそうだとはしゃぎまわる子供たちの騒々しさも、普段ならばうるさいと喧嘩になるところだったけれど、この日は逆に心地良かった。
遅れてやってきたハルと京子が差し入れにケーキを、山本が家から寿司を持ってきたこともあって、テーブルの上はよりいっそうの豪華さを増していった。
気に食わない連中に囲まれていても、この騒々しさのおかげで変に今日という日を意識せずにその場をやり過ごすことに夢中になっているだけで時間が過ぎていくという状況が、今日の隼人にとっては何よりありがたいことだったのだ。
一人きりでいればまず間違いなく余計なことを考えてしまって、憂鬱な気持ちから一日中逃れられなかったに違いない。
最後にツナの母親、奈々が腕によりをかけて作った豪華な特製ケーキが登場しようとしたそのとき、遅れてこちらも手作りのケーキを持参したビアンキのせいで、その場が阿鼻叫喚の地獄絵図と化したことを除けば、本当に穏やかな時間だった。
やがて日が暮れて夜になって、皆が三々五々ツナの家から散って行く中、最後にツナから「おめでとう!」と改めて言われて、子供の頃に社交辞令を聞いてばかりいた頃のことを思い起こして少しばかり苦い気持ちになりながらも、驚くほど素直にこの状況と、周囲の人間たちからの祝福の言葉を受け入れている自分の心境の変化が、隼人自身意外だった。
いつの間にか、とけこんで、まるでそれが当たり前のようになってしまっている。
自分を知っている人間たちと、はしゃぎまわって笑う声。
子供の頃にすら身近に存在しなかった家族というものの形は、本来ならばこういうものだったのではないのか、と。
夕闇の空を見上げて、隼人は立ち止まった。
唐突に、ふと、会いたくなったのだ。
あの頃の自分も、今の自分も知っている、その唯一人の人間に。
女の誕生日ならば一度聞けば絶対に忘れることは無いと豪語している彼が、ずっと子供の頃に聞いたきりの自分の誕生日を覚えているはずがないことはわかっていたけれど。
それでもただ、顔を見たかった。
今日という日に顔を見て、それで。いつものようにただだらだらと彼の隣で時間を潰して家に帰れば良いと思ったのだ。



家までの帰り道を少しだけ遠回りして、寄り道した。マンションのエレベータを上がる途中にも、柄に無く緊張しているのがわかって、自分でもおかしかった。
なるだけいつもどおりに、何も悟られぬように。そればかりを心がけて、息を一つ吸って、吐いて。ゆっくりとチャイムを鳴らした。
ところが二度三度とチャイムを鳴らして待っても、目の前の扉が開く気配は全くなかった。
どこかへ出かけてしまったのだろうかと、僅かばかりの期待を寄せて訪問した自分が惨めになってくるのにそう時間はかからなかった。
腹いせのようにドアノブに手をかけて勢い良くがちゃりと手前に引くと、どうやらもともと鍵のかかっていなかったらしい扉が開いてしまった。思わず隼人はその勢いのまま、無人の家の中へと足を踏み入れていく。
「シャマルー……いねぇのかぁ?」
明かりの無い真っ暗な部屋の中をずんずんと突き進みながら、手探りで見つけ出した電灯のスイッチを入れて、空調も付けた。
明るくなった部屋を見渡して、やはりまったく人の気配がないことを確認すると、隼人はシャマルの無防備さに改めて溜息をついた。
「鍵くらいかけとけってんだよ…今時物騒すぎだろ!」
ぶつぶつと独り言を繰り返しながら、隼人はリビングのソファの上に寝転がった。
手持ち無沙汰になって探したテレビのリモコンのスイッチを入れて、ザッピングしてみても、相変わらずろくな番組はない。適当にバラエティ番組にチャンネルを合わせて、右から左へ聞き流すようにぼんやりとその画面に目を向けた。
それにもやがて飽きた隼人は、腹がくちくなっていたせいもあって、気がつけばソファの上で眠りこんでしまっていた。
もう少しで日付が変わろうという深夜、空調の肌寒さに気づいてはっと目を覚ましても、やはり部屋の中には人の気配は見当たらなかった。
慌てて空調の温度を上げて、ソファの上に再び寝転がって、隼人は再び瞳を閉じた。
「帰ってこねぇし……あの、ばか」
誰かを待つということがこんなにもつらいことだというのを隼人が知ったのは、あの男に出会ってからだった。
女のことは一分一秒たりとも待たせないくせに、そして万が一待たせることがあったならそれはすさまじい勢いで謝り倒して詫びるくせに、対自分となると、やたらと待たせる上に平気な顔をしているのがシャマルだった。
いつだって隼人のことなんか視界の端にも入っていないというようなそぶりをして、思い切り翻弄するだけ翻弄して、かき乱して、逃げていく。ずるいと罵ればしれっと笑いながら手を伸ばして、一度、申し訳なさそうに唇を合わせて愛おしそうかなしそうに「ごめんな」と笑うのだ。
許せないはずなんかないだろう。そんなことをされれば、無条件に抱きしめてやりたくなるのはいつだってこちらの方なのだ。


「あーあー、うちのぼっちゃまは……これだもんなぁ……」
すっかり日付が変わってしまった深夜、白いばらの花束をかかえて帰ってきたシャマルは、真っ先にソファの上でぐっすりと眠っている隼人の姿を見つけて小さく笑った。
物音に気づいた隼人が目を覚ますのには、そう時間はかからなかった。
目覚めた途端に香ってきた独特の香りに、思わず子供の頃のことを思い出しかけて、隼人は首を振った。
ここは日本で、それもシャマルの家なのだ。ふわりと漂うばらの香り。あってはならないものの香りにきょろきょろとソファの上から起き上がって視線をさまよわせると、リビングのテーブルの上に見慣れない小ぶりの花束があった。
白いばらの花だ。そうして背後からそっとかけられた声。
「やぁっとお目覚めですかーおぼっちゃま?」
「なっ……てめっ……どこ行ってたんだよ、この馬鹿!スケコマシ!」
「どこって…そりゃ、こっちが聞きてぇよ、俺ぁお前んち行ってたんだからよぉ……待っても待っても帰ってこねーから。あきらめて帰ってきてみりゃ案の定これだ。鍵開けてってよかったぜぃ」
「は?」
「だってお前、今日は絶対一人で家にいる気だっただろ?でもよかったなぁ、ボンゴレ坊主だとか、あの連中に構ってもらって。ほんと、よかった」
髪をふわりと大きな手で撫でられて、いやーそんじゃ俺の出番はねぇわなぁ、と。くつくつと楽しそうに笑うシャマルの手をふりきって、隼人は言った。
「なん、で……っおまえ、それ……っ」
「んー?だってお前自分の誕生日嫌いだったろ。ガキの頃最後につまんなそーに俺んとこ来てたの、もう忘れちまったか?」
「……そりゃ、そんなの……」
忘れたとも、覚えているとも答えられなくて、隼人は小さくぽそぽそとそっぽを向いて答えるしかなかった。
「別にいーんだけどな。お前がこうして日本でガキらしく騒いでられるようになったてぇんなら、俺にゃあそっちのが……」
「よ、よかねぇからここ、来たんだろ!」
「……?」
ぽかんとした表情で隼人を見返すシャマルに、隼人は真っ赤になってさらに続けた。 「あんたが覚えてるなんて思ってねーから!だから、ここ、来たんだよ!いつもみてーにあんたといて、そんで、うち、帰ろうって思って……でも、あんたいねぇし。待っても待っても帰ってこねぇし。誕生日だし、おれ、あいつらにあんなに祝ってもらって、でもまだ足りねぇのかって思ったら、すっげー情けねぇし……なんっつーか……その……あんたの顔、見に、来た……そんだけ、だよ」
「へぇ……そっかそっか」
心底楽しそうにくつくつと笑い出すシャマルに、隼人はもうどうすることも出来ずに叫ぶしかなかった。
「わっ、笑うんじゃねぇ!」
「お前それ、ぜいたくだなぁ。ほんっと」
いつの間にそんなわがままになっちまったんだか、と笑いながらシャマルは「Buon Compleanno!」と隼人に告げて、頬にキスを一つ落とした。
「明日は美味いメシ作ってやっから。遅れちまったのはそれでチャラな?隼人」
ふわりとばらの花の甘い香りが、シャマルからしたような気がして、隼人は黙って頷いて瞳を閉じた。


うぬぼれやがってこの野郎、だなんて。口にはしないけれど。
いつかあんたにふさわしいって思われるようになるまで。
ずっとずっと、誕生日はあんたの隣にいたいから。


白いばらの花言葉――わたしはあなたにふさわしい






2007/9/9